お知らせ

2020年の豊富

tsuritako

今年の抱負を書こうとしたら、「抱負」が「豊富」と変換された

でも負うよりそっちの方がいいやん!!ということで、

今年、2020年の豊富(抱負)について書いていきます

この時点で2月

もう出遅れもいいところですが、心の中では決めていたことを改めて文章化することに

\今年のタスク/

1. 自己肯定感を上げる

2. Youtubeを週2~3・ブログを毎日更新

3. 断捨離

何度も言いますが、この時点で2月

すでに2番においてはアウト

ですが、実は新しい試みをしている準備期間の真っ最中

ブログもwordpresに移行し、四苦八苦しております…

更新の時間をそちらに取られているので、早く自動運転モードに移行したい!(切実)

自己肯定感を上げる

自己肯定感の話を少し

なぜ今「自己肯定感を上げる」なのか

「自己肯定感」と言う言葉に出会ったのは昨年の10月だったと思います

滋賀に引っ越してきてから娘と保育園のことで色々考えることがあり、子育てについて考えたり調べたりする時期がありました

簡単に言うと、山の中でのびのび太な環境から突然街(といっても田舎だけど)に、しかも保育園の環境に入って、初めの数ヶ月は何の問題もなく、後から振り返るとすごく頑張っていたんだなーと思います

ご飯は残さず全部食べてくるし、「行きたくない」とは一度も言わず、朝は「バス乗る〜♪」とるんるん

それが、夏のプールが終わった辺りから「保育園楽しくない」「行きたくない」が始まりました

初めは様子見で「それじゃぁ、お休みする?」と聞きながら、本人の意思で決められるようにしたかったので、何日かお休みしたこともあります

初めはお熱で休んで、行ったりお休みしたりを一週間した後、先生からクセになるから行かせた方がいいとの話があり、そこから朝抵抗されるも何とか連れて行くという日々が続きました

結局「行きたくない」の期間はすぐには終息せず、2ヶ月くらいかかった気がします

自分でも「うーーん」と思いながら何がいいのかわからずしっくりしない日々、「やらねばならぬこと」が多い園での生活に疑問がありました

自分の人生を振り返ってみても、その「やらねばならぬこと」が本当にやらないといけないことかと言うと、そうでもないことの方が多かったから

一般的にも代表的なのは「勉強しないといけない」

いやー、別に勉強したら良い訳ではないし、勉強ができる頭のいい子が事件を起こすこともニュースであるわけです

zozoを立ち上げた前澤さんは高卒ですからね。もう学歴でものを言う事自体が成り立たない時代です

この「勉強」と同じ調子で「しないといけない」ことが細かくあって、

例えば「並ばなきゃいけない」「他のことをしちゃいけない」「遊んじゃいけない」…

毎日たくさんの「しなきゃいけない」に囲まれて、そえれをこなさなきゃいけないことが、果たして必要なこと?

軍隊の英才教育じゃないんだから、そんなことを続けていたら子どもから「考えることを奪う」ことになっちゃうんじゃないかと感じていました

もちろん「そんなこと考えすぎ」って言われて「ヒステリックな親」と思われるのが透けて見えていたので、誰にも相談できないまま、もやもやとしながらも「どうなんだろう」と考える日々が続きました(まぁ今もあるけどね)

森のようちえんとの出会い

そんな中、「森のようちえん」というものがあるらしい

北欧でお母さんが子どもを森に連れて行きながら子育てをしたことがきっかけで、広がった「森のようちえん」

北欧では一般的にメジャーな存在だけれど、日本にも森のようちえんがあるらしい

森のようちえんに関するネット情報や本を片っ端から読む中で、どうやらこれは良いらしい(私と娘にとって合っていると言う意味で)

でも、行ける範囲にない!

通えないんじゃ意味ないじゃん。しかも、高い!月謝3万+諸経費

えーーー無理。うちの家計じゃ捻出できぬ(セレブかっ、何だよ一部の富裕層向けのものかよっ、庶民には何の権利もないのかっ)ズーーーーン

※今は保育の無償化で認定の園では無償で預けることができる園もあります

失望の中

見つけたのが「指導者育成の研修会」

森のようちえんでは資格の縛りがなく子どもたちの保育者を育成する研修が年に一度行われているそうで、

通わせられないなら、私がその保育者になって園以外の時間(日常生活の中)で取り入れたらいいじゃない!

その費用が3万。通わせるひと月分の費用でその知識とノウハウが得られるなら、コスパがいい。それなら出せるぞ

そんなわけで自分が研修を受けることにしました

研修会は間に合わない

ところが今年の研修会はもう終わっていて、次の日程は未定

近々には「森のようちえん」とはどんなところかを知れる、広くい一般抜にも開かれた全国フォーラムのイベントが開催されると知り、会場が岐阜だったので何んとか行けるかな… と娘を連れて行くのかとか調整をしているうちに、あれよあれよと枠が埋まる。

ものの3日で(記憶ではそのくらい。実際にはもっとあった気がする)参加が埋まって行くこと自体が叶わなくなりました

うっ、これは研修会も応募が始まった一瞬で埋まるんじゃない?

(何なんだよ、このプレミアライブのチケット即売のような早さは…)

これじゃまた1年待たないといけなくなる、そんなことしてちゃ幼児期も終わっちょうよ!!

危機感を覚え、お問い合わせに連絡してみることにしました

内容は、もし今度の指導者育成研修会の予約が事前にできるならお願いしたい、でも無理なら仕方ないので諦めます。と言う内容。

お返事が来て、「研修会より先に保育者対象のステップアップ講座がありますよ。一般でも参加可能です」という案内でした。

ステップアップ…. ステップも何も0なのにどうしよう… と迷うも、行きたかったので参加することに

結果、私はこっちでよかったと思いました。

その理由は、参加者の大半がすでに園を開いていたり、保育者として働いている人たちだったから。

実際の現場の声が聞けたことで取り入れられることが多かった。

その中で出てきた言葉が「自己肯定感」

はい、長かったですがやっと出ました

自分を認める大切さ

以下は私の解釈です。

子どもたちの「自己肯定感を高める」正確には「低くする要素を極力減らす努力」

自己肯定感とは「自分はそのままで大丈夫」「認められることに条件付けされない」ということ

例えば「いい子にしないといけない」は、「いい子」でないと自分は受け入れてもらえない、認めてもらえない、「いい子でいる」ことが「条件」になるメッセージを知ってかしらずが植え付けている

森のようちえんでは、自分で興味を持ったものを自分で触れて、感じて、体感する。そして何らかの形でアウトプットする時もある。

全ての元が自分であり、大人はそれを邪魔しない

「早くしなさい」ではなく「待つ大切さ」を知っていて、それを大切にする

私の場合、お産を助産院でした時にこの「待つ大切さ」をしみじみ感じることがあったので、それはお産にも通じることだと思いました

というか、子育てにおいて同じように言えることは多い

問題は、そうもしてられない大人の環境にあると思っています

親だって子どもに「早くしなさい」って言いたくない

でも早くしないと時間に間に合わない

その間に合わせないといけない時間との間で板挟みになっているお母さんの苦しさって、私にはよくわかる

だからそこ、「待つ」というこの一見地味で手を出したい衝動に駆られるこのことが、とても重要なのです

ここに関しては更に長くなるので別の機会にお話ししようと思います

さて、ここで、子どもの自己肯定感を上げることが大切なことがわかりました

しかし、

しかしですよ

そこで思ったわけです

「あれ、私、自分の自己肯定感低くない??」

その子どに接する私自身の自己肯定感が低かったら、あかんやんwww

自分の自己肯定感、高い?低い?

はっきり言って、私自身、自分の自己肯定感の高さを気にしたことってなかったんじゃないかな…

私は自分のことをあまり気にしてこなかった気がする

別に特段、嫌いでも好きでもない、普通

でもその普通って何だ

「自分のことを大切にする」ことを子どもに伝えるには、私も「自分を大切にする」必要がある

そうでないと、子どもから見た時、言ってることとやってることが違うじゃない!ってなるんじゃないか

そう思ってハッとした

はっ!私って、自分を大切にできてないかも…

蔑ろにしてはいないけれど、特段大切にしている意識も薄い気が…

子どもは親の姿を見て真似して学んでいくもの、これはもっと自分を大切にすることが私にとっても娘にとっても大事なことなんじゃないか

そう思ったわけです

そこで、「自分の自己肯定感を上げる」

自分を大好きになる。自分を大切にする

なぜなら、私は娘に「自分のことを好きでいてほしい」し、「自分のことを大切にしてほしい」から

そんなわけで、2020年の豊富その1に「自己肯定感を上げる」を持ってきたわけです

ご清聴、ありがとうございました!

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