日々のこと

自然と繋がる、土地と繋がる

tsuritako

ラジオではこちら

突然3月いっぱいコロナ休みになった後、久しぶりに園が再開したので

この隙に、ずっと気になっていたことに取り掛かる

確定申告より優先させたそれはズバリ、

ゴミ拾い!

はい、ずっと気になっていたのですよ

いつも車で通る道に

「なんかゴミがあるな〜」と

で、この前ちょっと見てみたら、絶対あかんやつがあったので、

「えっ!なんなん!?なんでこんなもん捨てるん!!?」

と憤り、子どもがいない間に行こうと目論んでおりました

で、やっとのこさ登園を見送り、

いざ!!

45lの燃えるゴミ袋2つ分(ビン・カン含まず。回収日が合わなかったので保留)

ようやくきれいになってほっとした。

そして思った。

なんで拾わんのだろう…?

そう、その道は普段散歩している人を見かけていたので、

その人たちはなんでどうしてそのままで平気なのかな?気付いてないのかな?嫌な気持ちにならないのかな?と不思議。

そして考えた。

そうして出たひとつの結論は、

土地と繋がってないから、自然と繋がっていないから

なのでは無いかと。

土地と繋がっている感覚がない、自然と繋がっている感覚がない。だから

自分は関係ない、誰か他の人が拾うだろう、市が清掃するべき

と思ったりするのかな… と思いました

または、「気付いていない」

でもそんなことある?目の前にあるのに?

めっちゃ老眼なんかな… でもそれ程なら道路歩くのも危ないのでは…?

とも思ったり。

単純に何も考えていなかったとしても、でも自然と(土地と)繋がっている感覚があれば、多分拾うと思った

山の人は自分の衣・食・住は全て山なしでは成り立たないことを知っている

畑の野菜を食べ、猪や鹿の肉も、水も、周りの環境は全て自分の生活に繋がっている

だから、ポイ捨てなんて絶対にしない(はず)

でも、街に行くほど産地との距離も遠くて、何段階も経て自分に届く

直接お取り寄せしたとしても、でもそこに自分はいないわけで…

見えないと実感は湧かない

でも一度繋がる(直結する)暮らしをしたなら、その感覚は自分に残っている

あることがわかる

マナーの悪い一部の人がいても、その人たちが捨てたゴミを拾う人がその何倍も多かったら、それほど表面化しないはず

捨てる人も、見て見ぬ振りしてそれを拾わない人も、共通するのは土地と繋がっている・自然と繋がっている実感がないからなのではないかと思った出来事でした

もっとたくさんの人が、繋がっている感覚を今より強く持つことができたら、きれいになるのだろうな

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