限界集落

「繋がることで守る、繋がらないことで守る」田舎と都会、コミュニケーションの違い

tsuritako

どちらに住んだこともあるから思う、コミュニケーションの差

私は東京都内に住んだことはありません。

タワーマンション暮らしなんて知りもしませんが、大阪の中心部で仕事をして、そこからちょっと離れたところに住んでいました。

地方都市暮らしと田舎の限界集落と、その間、どちらも知っているから見えることをこれから書いていこうと思います。

都会は「繋がらない」ことで守る

どこでも同じですが、職場での人間関係、ご近所とのトラブル、事件や事故の危険性、考えるときりがないほど「人」に関する不安やストレスがありますよね。

都会においては個人情報をどれだけ知られずに守れるかということが自分の身を守る上で大切になっていきます。

情報を守る事で犯罪から自分を守る

電話番号や家族構成などの個人情報が悪用されれば、オレオレ詐欺の電話やアポ電で強盗に襲われるような怖い事件に繋がることを阻止しなければならないし、一人暮らしの女性にとっても自分が一人で住んでいる(ここには女性が一人でいる)ということをできるだけ知られないようにしないといけません。

シェアハウスなど集団で住むことによって、いざという時助けを求められる人たちがそばにいるということはとても心強いことだと思います。

「守る」ことが大事

誘拐や怖い事件のニュースがある度、防犯の必要性(防犯カメラの設置や事件が起こりにくい町づくりはどうしたらいいのかなど)の議論がなされます。

「どう防ぐか」「どう守るか」ということが問われます。

挨拶は誰にでもするものじゃない

子どもにも「知らない人にはついていかない」「すぐ逃げる、助けを求める」ように言い聞かせますよね。これは都会や田舎に限らず何処にいても同じことですが、私が限界集落から程よい田舎に来て思ったことの一つに「みんな挨拶しないんだな…」と感じたことがあります(←良い悪いではない)

子どもが全然挨拶しない。

こっちが挨拶したとしてもちょっと戸惑った感じでどうしたら良いかわからない様子だったので、「あ、これ変な人に思われたらいかんな」と思ってやめるようにしました。

でもこれは「子どもが」の前に「大人が」しないからだ、ということです。

子どもは大人を見てそうしているだけだから、もし大人が挨拶するなら子どももするようになりますよね。

都市に行くほど人は多くなります。

知らない人と関わらないことで自分を守るということと、人が多い都会では多すぎて挨拶してたらきりがない(どこまですればいいねん!)ってことだと思います

田舎の挨拶は結構大事

WOODJOB!という映画に、都会から来た主人公が田舎に来て、道ですれ違った村人に挨拶せずに素通りして印象が最悪になったというシーンがあります(笑)

村に住む先輩が軽トラで道を走っている時に、村人が見えたらクラクションをポンポンと押す(押して挨拶する)というシーンもあります。

よくできてるな〜 本間それやもんな、と思ったことを覚えています(笑)

それだけ挨拶は大事なツールで、することが基本。

実際私たちも、車ですれ違う時に笑顔でちょっとお辞儀したりしていました。

別にそれを苦に思ったことはないし、むしろ「誰々にして誰々にはしない」といったことを考えずとりあえずすればいいので、そっちの方がわかりやすくて気が楽。

向こうも笑顔で返してくれると気持ちもいいし「あ、あの人何処の人だ」と気づいたり、「今日は暑いね〜」とかちょっとしたコミュニケーションにもつながったり。

「野菜持っていく?」っと言われてお野菜をいただいたり(笑)

都会の挨拶って意外に大変なんじゃないかと思う

「この人にはしてこの人にはしない」人を選んで判断しなくてはいけない。

なのに「挨拶はきちんとしなくちゃいけない」と言われる。(え、言われるよね?言われない??)

田舎(といってもこれも田舎具合による)は基本的にすることがデフォルトなので、「ご免ください」であろうが「こんにちは〜」であろうが声を掛ける(または挨拶の動作をする)ということが大事。なので、多分都会の方が複雑なのではないかな… と思います。特に子どもたちにとっては。

都会が可哀想とは思わない

だからと言って都会の子が可哀想とか、田舎がいいとか、そういう話ではないです。

(ここ、絶対誤解されたくないから。そんな風に思ってないしそんなこと言いたいのではない!!ってことを押さえておきたい。)

必要があってそうなっているだけの話だから、「そうなんだよね」というだけの話です。別にだからどうだということではないのです。

いろいろ考えてその都度判断しなくていいし楽だったなーというだけの話であり、これは私の主観でしかないです。

人によって感じ方もいろいろ。場合によってもいろいろ。

都会は「知らない」、田舎は「知っている」がデフォルト

都会ではお互いを「知らない」のが当たり前。そこから「知っている」人が増える。

対して田舎は「知っている」が当たり前。

私たちの場合も、引っ越してくる人自体が珍し過ぎて噂になり、引っ越してきた時には会ったことない人たちなのに、みんな私たちのことを知っていました。

おかげで自己紹介を何回もしなくて手間が省けるという(笑)

知っているからこそ挨拶が大事

例えば前から親戚のおばさんが来て、何も言わずすっと通り過ぎたらどう思いますか?

親戚のおばさんでなくても、隣に住んでる女の子でもいいし、友達でもいいのですが、「知っている」がベースだと「なんで無視するの?」とか「何、お高くとまっちゃって」とか、そんな印象に向かってしまいます。

でもそれが知らない土地に旅行に行った先の、全然知らない人だったら、なんとも思わないですよね。

都会と田舎では挨拶に対してそんな違いがあります。

もっと言うと、他所から来る人なんて滅多にいないので、地域内は完全にホーム。

自分の家の延長線上のような感覚に近い(と思う)、だから、知らない人が来ると「何しに来たの?」と不思議になるのです。

ここに来ることが「わざわざ来る」ことなので、そこまでしてここに来るその目的がわからないのです。

対して都会は不特定多数の人が通り過ぎていくから珍しくもなんともない。

そこに一人一人焦点を当てる理由がないし、そんなこともしていられない(多すぎて)。

「違う」ということを知る

そんな違いがあるので、挨拶をする・しないに関しても、都会感覚でそれが当たり前だから同じ感覚のままで田舎に移住すると、痛い目にあうのではないかと…

同じく田舎感覚で都会に急に来ても戸惑うのではないかと…

「郷に入っては郷に従え」とはよく言ったもので、

まず「違う」ということがあって、それを認めることからなのではないでしょうか。

都会は「個」田舎は「全体」

都会のコミュニティは繋がりやすいと思う。

好きなもの、趣味趣向に対して、同じ好みの人とも繋がりやすいと思う。

だから、付き合いたい人と繋がってそこから広がっていく。

反対に、そうでない人とは付き合おうとしない限りは繋がらない。接点がない。

なんというかこう、自分で「人付き合いをコントロールする」面の方が強いと感じる。

対して田舎は(若者世代の目線で話します。)

同世代が少ない。全体数が少ないから趣味趣向の合う人を見つけることから難しく、巡り会える確率の方が少ない。(その趣味にもよる)

しかし運動会に至っては幼・小・中合同。

地域住民と行うので 各地域のブロックに分かれて対抗するなど「みんなの行事」である。

自治会の集まりで草刈りや総会に合わせた花見などもあり、年齢性別を問わず、全年代との関わりをもつ機会がある。

娘夫婦が遊びに来てるからおいで〜とか、家族や親戚などの単位で共通して関わる機会がある。

旦那の職場の同僚を嫁が知っている。

今一緒に仕事してるのは何処の人の誰でーとか。

旦那に何回言っても聞いてくれないってことを言ったら他の人から旦那に「それはないやろ〜」と言ってくれて聞くようになった、みたいなこともある(笑)

例えば夫婦で暮らしていたとして、旦那さんもお嫁さんもそれぞれの職場での人間関係があり、友人の繋がりがあり、各々の世界があると思う。

それが独立しているのが都会で、全部繋がっているのが田舎だと思う。

都会が個を尊重するような個人のコミュニティに対して、田舎は全体という単位に近い感覚。

田舎に行くほど付き合いという点では全体、都会へ行くほど細分化する気がする。

しかしネットがあれば何処でも誰とでも繋がることができる昨今、

ここでいう繋がりの話が全てではなくて、多様なあり方があるのかなとも思います。

私の身近にないだけで。

まとめ

長くなりましたが、要は限界集落はコミュニケーション能力意外に高いよ!

挨拶は大事よ!!ってことでした(・o・)ノ

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